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アンカー 1

Q1

地震のとき、どこにいましたか?

回答者のうち0−1歳の乳児を持つママが全体の4割程度を占めていること、時間帯がお昼寝の時間だったことから、自宅にいた方が多いようです。交通手段が 車であることから、運転中だった方が多いのも特徴的です。もし、都心で起っていたらどうだったのでしょうか?地下鉄や高層ビルにいる可能性もありますね。 どこで起るかわからないから、ママバックには最低限の備えをしておきたいものです。

Q2

すぐに「津波がくる」と思いましたか?

歴史的に津波被害が多く、年配者から伝え聞いたり社会科の授業で教えられる機会もある石巻ですが、震度6の地震の直後も多くの人が「いいえ」と答えています。
これはママたちが地元育ちでなく、市外から嫁いだり夫の転勤などで来た人も多数いたことが関係しています。嫁いだら、その土地の歴史や地形についても関心を持っておく必要がありそうです。

Q3

避難しましたか?

山、高台に逃げた人が多いのは、緊急性が高かったことを表しています。外出先で避難場所が分からなかった人も多数いると考えられます。外出時につねに最寄りの避難所をチェックするのは難しいですが、出歩く機会の多いエリアにある学校や外出先にある非常口などを意識してみる心がけはしたいものです。
実家や親戚の家に避難したと答えた人が指定避難所と答えた人と同数なのは、家族とのつながりが密な地域柄からでしょう。

Q5

その時持っていったものをできるだけ

詳しく教えてください。

(避難者73名が複数回答)

すぐには支援物資が届かず(特に在宅避難者には10日位配布届かず)翌日からスーパーには長蛇の列ができました。スーパーのものは緊急時でも有料。銀行再開までかなり日数があるので常に3日は過ごせるだけの現金の準備が必要です。
この日はあいにく雪が降っており、津波で助かったのに寒さで亡くなった方もたくさんいました。避難所では少しの食べ物を分けあって食べることになるので、なんでもいいから子どもの食べるもの、水分は必ずもって逃げたほうがいいです。

Q7

当日、子どもたちの様子はどうでしたか?

Q4

誰かから避難指示はありましたか?

「近所の人」と答えた方が多いのも土地柄。「津波が来たぞー」との声がけで逃げて助かった方も多いようです。都会の希薄な人間関係の中では、どのような結果となるのでしょうか。防災無線は心強い仕組みですが、近ごろの密閉度の高い住宅では窓を閉めると外の音が聞こえにくいことも。大きな地震の後は、火事や 津波の危険性があります。落ちたものの片付けなどをする前に、外の様子にも注意を向けてみることが大事です。

Q6

避難時、持っていって役に立ったもの、あったら良かったものは何ですか?

すぐには支援物資が届かず(特に在宅避難者には10日位配布届かず)翌日からスーパーには長蛇の列ができました。スーパーのものは緊急時でも有料。銀行再開までかなり日数があるので常に3日は過ごせるだけの現金の準備が必要です。
この日はあいにく雪が降っており、津波で助かったのに寒さで亡くなった方もたくさんいました。避難所では少しの食べ物を分けあって食べることになるので、なんでもいいから子どもの食べるもの、水分は必ずもって逃げたほうがいいです。

静かになるのが怖いので、震災以降ずっとしゃべることで安心感を得ていたという子もいます。大人にとっても恐ろしい地震でした。小さな子どもたちはどれほど怖かったことでしょう。子どもたちの心に寄り添うスキルを大人は身につけておきたいですね。

Q8

石巻の被害状況は知っていましたか?

とにかく避難という状況でしたので自分のいる場所以外でどのような被害が起っているのか、わからなかったという人のほうが多いようです。翌日高台から街を眺めて涙が出たという方、情報源がないなか必死で被害状況をかき集めたという方が多いです。

Q9

原発の被害状況は知っていましたか?

福島第一原発についての質問です。石巻から15kmと離れない場所にも女川原発があります。一歩間違えば福島と状況は同じだったともいえ、原発への意識は 強くある地域ですが、電気が止まり情報を得る手段がなかったことから福一の状況については知らない人が多かったのですね。

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